正社員の共働きは辛い?|地元岡山にUターン転職した男のケース

クイーンとキング 岡山へのUターン転職

こんにちは。

岡山で会社員をしながら、ブログを続けている神高(かんだか)です。

今回は、地元岡山にUターン転職して、夫婦ともに正社員で共働きをしている「ある男」のお話をします。

 

神高
神高

と言いつつ、ぼく自身の話なんですけどね

東京で(しかも、割と大企業で)正社員をしながら共働きをするケースは雑誌などで紹介されるものの、地方の中小企業で、というのはあまりないので、一つのケーススタディとしてください。

「正社員の共働きは辛いですか?」と聞かれたら、「我が家の場合は、辛いと思ったことはほとんどないですよ」というのが答えです。

 

一方、「正社員の共働き」は雑誌「ダイヤモンド」や「東洋経済」では、迫真のルポとなるネタでもあります。

正社員の共働きは辛い?|地元岡山にUターン転職した男のケース

前職は東京、大阪、海外と異動のある中堅の一部上場メーカーの営業でした。

30歳までには結婚したいな、と漠然と考えながら仕事をしていたものの、特に相手が見つかるわけでもなく、家庭(両親)の事情で地元岡山に戻ることを29歳のときに決心します。

結果として、地元を拠点とするいわゆる中小企業で仕事を得て、今に至ります。

その後、岡山出身の女性との結婚を経て、今は息子を含めた3人で暮らしています。

正社員の共働きを支えてくれている妻の存在|地元から出たことがありません

カミさん(妻)は岡山生まれの岡山育ち、そのまま地元に就職した人です。

ですから、転職など考えたこともなく、入社した時の職場の雰囲気から「結婚したら、いわゆる寿退職だろうな」と思っていたとか。

ただ、ここ20年で大きく時代は変わり、地方の中小企業と言えども結婚を機に辞める女性は徐々に減ってきました。

約25年前、ぼくが新卒で就職した企業の東京本社では、ほとんどの女性が結婚を機に辞めていたのに、です。

総務省の統計でも、ちょうど1990年代の終わりにかけて、「共働き」と「片働き」が拮抗していた時期だとわかります。

それだけ、この20年で「共働き」が一般化してきたと言えます。

 

神高
神高

岡山に転職で戻ってきた2005年頃、地方都市では「寿退職」という言葉もまだまだ健在でしたよ。

正社員の共働き、両親が近くに住んでいても悩みは残ります

食器洗い

先ほどの「東洋経済」の記事にもある通り、東京を含む都市部で共働きをする場合、家事をどう分担するか、子育てのイベントをどちらが受け持つか、ということが問題にされます。

というのも、いずれかの親が近くに住んでいるケースばかりではないからです。

子供を保育園や幼稚園に預ける係をどう分け合うか。

体調不良で急な呼び出しがあった時はどうするのか。

その点、我が家は地元が同じ者同士ですから、岡山に住んでいる限り、息子の面倒をみてもらうことはできそうだ。

最初はそう思えました。

しかし、それほど事情は簡単ではなかったのです。

高齢化社会で、ぼくの両親もカミさんの両親も、60歳を超えて仕事を続けていたのです。

正社員の共働き、続けるカギは「両親のワークライフバランス」

ぼくの母親と父親、カミサンのお父さんとお母さんの4人はいずれも10年前まで仕事を続けていました。

ただ、4人の中で唯一、ぼくの母親だけは同居している祖母のサポートをする時間を取るために仕事のペースを落として働いていました。

息子が保育園に入る前、そして入ってしばらくは随分と息子の世話で母親の世話になったものです。

それでも、母親も仕事を続けて休むのは職場に気を使いますから、単発の保育園に息子を預けるときもありました。

たとえば、35歳で子供を産み、さらにその子供が35歳で子を産むなら70歳で孫を迎えることになります。

それでも、30年後は年金問題で働いているかも知れません。

年金受給の開始年齢は伸びる一方ですから、70歳でも「ワークライフバランス」を考えなければならない時代がすでに到来しています。

親子三世代で同居、あるいは互いに近くに住むにしても、です。

40年前に祖母がぼくの面倒をみてくれていたような時代、悠々自適の「おじいちゃん」「おばあちゃん」が孫をみてくれる環境は、かなりのレアケースとなってきそうです。

となると、ますます孫の世話をしてくれる父親、母親は貴重な存在ですから、感謝しなければなりませんし、場合によっては家事代行や託児所を使うなどの工夫が必要です。

まとめ:正社員の共働き、実は母親の働き方から影響を受けていた

夫婦共働きを選んだ経緯を振り返ってみて、あらためて「母親」の影響は大きかったな、と感じます。

ぼくの母親は、地方都市にしては珍しい「会社員」として定年まで勤めあげました。

だからでしょうか、結婚を意識したとたんに「この人は、共働きを続けてくれる人だろうか?」と疑問が頭をよぎったのです。

片道一時間の通勤時間をかけてまで共働きを続けていた母親。

今と違い、月曜日から土曜日まで働くのが普通だった時代から始めて、結局、約40年の会社員生活を続けていたわけです。

 

神高
神高

女性の社会進出に理解があるとか、そんなことではないんです。

我が家は特に深い考えもなく、共働きを志向していました。

もちろん、結婚した人の家庭も共働きだった、ということもあります。

そして、今の子供たちは半分以上が共働きの家庭で育っているわけです(出展:総務省統計)。

となると、これからの日本は、ますます共働き志向の家庭が増えていくでしょうね。

 

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