こんにちは。
岡山で会社員をしながらブログを書いている神高(かんだか)です。
独身時代にUターン転職の経験しています。
2004年にUターン転職を決断したきっかけは、母親の病気でした。
ただ、本当の理由は、その時に「所属していた事業部の買収」だったんですけどね(苦笑)。
しかも、母親は今ではすっかり元気ですから、表向きの理由も消えてしまいました。
- 詳しくはこちら:Uターン転職、理由なんて後付けさ|田舎の両親に迫る危機とは?
今回は、その時の「自分自身との対話」についてお話します
Uターン転職のきっかけは自分自身との対話から|素直に聞けますか?
Uターン転職は、地元に戻って再就職することを指します。
ですから、Uターン転職を検討する時、都市部や海外で働いていると想像されます。
そしておそらく、日々の仕事は忙しく、「このまま続けて良いのかな」という漠然とした疑問が心の中に生まれていることでしょう。
であれば、焦らず、じっくりとその「心の声」に耳を傾けてみるべきです。というのも、今までの価値観とは違う「自分の本心」と対話するチャンスだからです。
ぼくがUターン転職を決めたのは28歳、企業での仕事が5年目に入った頃でした。わずか5年ほどの間に東京、大阪と転勤を繰り返し、短期の海外駐在も経験していました。
このような生活に憧れて選んだ会社ではあったけれど、本当にずっとここに居ていいのかな、なんて感情が芽生えていました。
そんな日々の中で「母親の病気」と「事業部の買収」が立て続けに起きて、タテマエとホンネの理由が自問自答の中で生まれてきたのです。
当然ながら、「そんなのは逃げだ」「諦めずにもっと頑張るべきだ」という心の葛藤もありました。
ある程度の規模の会社に数年勤めてみると、会社というものは「長く勤めた人こそが勝者」だとわかったからです。
不祥事を起こさず、少しずつでも組織に貢献していくタイプの会社員は最強です。
あれから20年近く経ちますが、いまだに真理だと思います。サラリーマンの場合、長く勤めあげることができるなら、それこそが「成功物語」です。
とはいえ、人それぞれ、家庭や個人の事情があります。ぼくも同じでした。
独身で恋人もいなかったぼくの心の声は、最後に「地元で仕事を持つ女性と家庭を持ち、親子三世代でガッチリ生きていく、というのはどうだ?」という提案をしてきました。
Uターン転職をきっかけに共働きを始めてみないか?
Uターン転職をきっかけに、真剣に共働きを考えてみないか?
そう心の声が提案してきたのは、時代の流れでもありました。
「共働き世帯」と「専業主婦世帯」が同数になり、結果として「共働き世帯」の方が勝る(メジャーになる)現象は平成二年(1990年)からの約10年間に起きた現象だからです。
ぼくが小学生、中学生だった頃はフルタイムの会社勤めの女性は珍しいものでした。
ましてやぼくの母親世代では非常に珍しく、友人をみても(スーパーのパートなどを除けば)看護婦や教師などごく一部の「お母さん」が正社員で働いているだけだったのです。
ところが、都会に出て就職してみると同期の女性総合職は何人もいる。
「寿退職」という因習(いんしゅう、とあえて言いましょう)は残ってはいましたが、徐々に減っていく傾向にありました。
また、偶然にも自分の母親が地方では珍しかった「フルタイムでサラリーマンを満了」した人であったことも判断に影響を与えたように思います。
もちろん、楽なことばかりではなく、「フルタイムの共働き」は、まるで綱渡りのような日々を過ごさねばなりません。始まってみれば、〇〇歳の壁、小1の壁、小4の壁、障害は数えきれないほどあります。
ただ、漠然としたイメージで、Uターン転職を決めた時に「親の協力を得ながらの共働きは悪くない選択だ」と思えましたし、実際、それらの壁も親子三世代で乗り越えてきました。
転職を後悔することがあっても、諦める必要はありません
決断できた背景には、Uターン転職を後悔することがあっても何とかなるだろう、という「開き直り」もありました。
- 詳しくはこちら:Uターン転職で後悔しなくないあなたへ|Oターンを知ってますか?
これも当時の「時代の流れ」をなんとなく感じていたからです。
2003年頃、まだ「リクルートエイブリック」と呼ばれていた「リクルートエージェント」に登録し、各種メーカーの採用情報を集めていました。
転職に「35歳限界説」などがまことしやかに言われていた時代、少しずつですが産業界に変化が出てきていたのです。
新卒をとても大切に扱う一部上場企業の一部でも、堂々と中途採用を募集する時代が来ようとしていました。
ただ、2004年当時はまだスマホがないので、情報収集の主役はパソコン( Windows Me の時代)でした。光回線はなく、ADSL さえまだまだ高価な時代。
しかし、いまはスマホで転職エージェントの非公開求人まで確認できるので、隔世の感があります。
市場がある以上、情報収集を続けていれば、活路が消えてしまうことはありません。
世の中で新たに生まれる「年齢、経歴なりの活路」を見出していけば路頭に迷うことはないだろう、そう思えたのです。
まとめ:心のどこかにあった橘玲氏の「黄金の羽根の拾い方」
作家の橘玲(たちばなあきら)さんが2002年1月に幻冬舎から出版した「お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方」はいまだに心の中に引っかかっている本です。
2017年に新版が文庫本で出され、読み返した時に強くそれを感じました。
すっかり忘れていましたが、その中に「ルール4:収入を増やす確実な方法は働き手を増やすこと」と書かれていたからです。
2004年のUターン転職前に「共働き」を望んだ自分の心の中に、この本は大きな影響を与えていたようです。
もちろん、今でもこの「ルール4」は有効だと思っています。
子供には好きなことにチャレンジできる、何の不自由のない人生を歩んで欲しいと願っています。
だから、息子にはどんな形でも「働き手」になって欲しいし、ぼくも親として長く働ける道を選び続けたいと考えています。